2017年1月31日火曜日

冬は「ほうで〜〜ん!」


コタツでじーっとしてると、なんだかしんどい。

いやいや、寝てるんだし、動いてないし、ヒマだし。ぐあいがわるくなるわけなかろう~とおもうが、なんでか、どこかがふんずまったよーなかんじ。

あー、そーいや、畑に行ってねえなあ。。。
アレやるかー。。。

といって、ごそごそとコタツから抜け出し、窓を開ける。
ひょえ~~っ、さむっ!
夕暮れ近くの山のふもとは寒い。

庭にでる。
靴下を脱いで、裸足になる。
石に腰掛けて、裸足を大地につける。
冷たい感触が足の裏からしみて来る。

じーっとする。
急激に何かが足の裏から抜けて行くのがわかる。
さっきまで、あたまの中や、からだの中に、フンズマっていたものがすーっとぬけていく。

冬のあいだは、コタツやホットカーペットや、電化製品に囲まれて、体が帯電しやすい。そんな時はどことなく、体がうるさい。
からだの中に、電気のプラスばかりが充満するらしい。
そんな時は、マイナスをうけとるために、地面に直接足をつけて放電する。
冬のあいだは、畑にもいかないもんだから、放電のチャンスがなかった。

そんな話を具体的にしているユーチューブがあった。

今さっきも、思いだして庭にでて大地に足をつけた。

しばらくすると、足の裏がぽかぽかとして来る。まだ冷たいはずの冬の大地は、わたしの足と一緒になって、熱を帯びていた。


2017年1月26日木曜日

くわばらくわばら


一昔前にはあたりまえだったり、ささいなことだとおもわれていたことが、「これはいかがなものか」とか、「これって、問題じゃね?」という問題定義が、どんどん出てくる。どんどん深刻なことになっている。

最近は「へ?そこ?そこが問題かー」ってなところまで、「いかがなものか」という。

でも心の中で人を罵倒したり、妄想でいじめたり、破壊したりすることには、なーんにも問題定義がない。

あくまでも「目に見える」ものだけなのよね。物理的に目に見えるものだけが、問題の対象となる。
逆に言うと、目に見えなきゃ、なにやってもおとがめなし。

とゆーことは、目に見えなきゃいい的に、人の破壊的な影の部分は、どんどんますます見えないところに隠れていくのかもね。

他人だけじゃなく、自分にさえも見えないように。

くわばらくわばら。


2017年1月25日水曜日

ただ今。わたしのカラダ。


仕事で、メチャクチャ忙しく動きまくる。
その動いているカラダに、乗る。

ちゃりんこをこぐ。
そのこいでいるカラダに、乗る。

私たちは、いつもほんの少しだけ、心が前のめりになっている。

この仕事を終らせること、この自転車をこいでうちに帰ること。
心は、目的地にあせるようにむかっている。
それをやめる。

動き回っているそのカラダに、心を合わせる。
ちゃりんこをこいでいるそのカラダに、心を合わせる。
それとともにいる。そのうごきといっしょになる。
心は、ただ、今にある。

ただいま。わたしのカラダ。
わたしは、カラダに還って行く。

心は、しずかになる。

2017年1月23日月曜日

絵は私を離れて、新たな物語をつむいでいく。



「人間、ほしいものがなくなったらおしまいだ」
彼はすごみのある顔でそう言った。

「仕事で苦労してゲットしたお金で、自分にご褒美をやる。それが人生ってもんだ」
実際、すごく苦労された人だから、その言葉に重みがある。そうだよ、そうだよ。その疲れた心とからだを癒すためにも、うんとご自分にご褒美をあげて欲しい。

だけど、ぼそっとこうも言った。
「だんだんほしいものがなくなるんだよな。。。」
その言葉に、欲しいものがなくなる寂しさと、今までとは違う感覚のおとづれ。この二つの意識のせめぎ合いをみた。

いいカメラをたくさん買い、奥さんに宝石類をたくさんプレゼントし、今は江戸切り子をコレクションしている彼。
にもかかわらず、心へのご褒美が、彼自身によろこびを与えなくなっていることに気がつきはじめていた。

そう言う彼が、わたしの絵を買ってくれた。
常にいいものを探し求めて、高価なものを求めて来た彼が、ほしいものがなくなっていくそのときに、わたしの絵が彼の心を動かしたのだ。

彼とあの絵のあいだに、何がおこったのだろう。それはそれを作った本人さえ知る由もない。
絵はふしぎだ。理屈ではわからないなにかを伝えていく。なにかの衝動を与えていく。

わたしの絵はわたしの元を離れて、彼との二人の物語がはじまったのだ。


絵:「落ち葉のダンス」/つくし紙絵展vol.3
        和紙、洋紙、水彩、クレヨン


2017年1月15日日曜日

なんにもしないことはむずかしーのだ。




人はつねに、「なにかをやる」ことによって、しあわせを獲得してきた。
だからしあわせを獲得するには、何かをしなければ得られないと考える。

そのおかげで、この世はお江戸のお殿様でももたなかったよーなモノで満ちあふれ、快適なサービスに満ちあふれている。

さぞかししあわせになったことだろう。
で?
まだしあわせが。。。足りないじゃねえか!

じゃあ、もっと「なにかやる」ことをさがそう!そうだ!もっとなにかしあわせになる方法が、他にあるのだ!
と、やることを探す。

これ、きりないよなあ。

そこで、何もしないことをしてみる(笑)。
ヒマだ。
心がわさわさして来る。
心がなにかしようと探しはじめる。

ダメだ。ここで動いてはダメだ。
なにもしないのだ!
と、こたつでふんばる。

しかしついにガマンできなくなって、パソコンをぱたぱたたたく。

なんにもしないって、むずかしーねー。

(ヒマなんか。)

(ハイ。ヒマです)



2017年1月12日木曜日

アホになる


小さい時から、
「はよう。はよう」
と言われてきた。
母にも、学校の先生にも。
何につけてもスローだった私。

今も相変わらずスローだけど、これでも心は
「はよう、はよう。」
と、じぶんに言い続けてきた。

これがまったく「今」にいられないことなのだ、と知ったのは最近だ。


心はいつも、少し先のことを考えている。
水を飲むことを思いつくと、心はもうすでに水を飲んでいる。
しかしじっさいは、

立ち上がる。
台所まで歩く。
コップを手にもつ。
蛇口にコップをもっていく。
蛇口をひねる。
水をコップに注ぐ。
それを口に運んでいき、
傾けて、はじめて水を飲むという行為にいたる。

しかし心は、そういう行為をすっとばかして、とっくに飲んでしまっている。
心は、いつも「ここ」にはない。水を飲みに行くまでの行為は、「カラダが勝手にやってくれるだろ?」と、たかをくくっている。
それよりも重要なことは、目的だ。水を飲むこと。水を飲むことが終ったら、「ハイ!次!次はなに?!」と、矢継ぎ早に、次の目的を探している。


わしらはいつもつねに次のこと、先のこと、未来のことを、考えろ、考えろ、考えろ!って言われてきた。
そしてその次は、それを達成するための方法論を、考えろ、考えろ、考えろ!って、いわれてきた。

それって、つねに前のめりに意識もカラダもなってるってことだ。
斜め前方に、カラダが傾いている状態(笑)。

カラダが前に傾いているから、頭からこけそーになる。だからあわてて右足を出す。一瞬安定はするが、頭はさらに先に進むから、あわてて左足を出さねばならない。するとまたぐっと前に頭が出るので、再び慌てて右足を出す。。。。とゆーことを繰り返しているだけなのではないか?

つねに未来のことを考えているとは、そーゆー状態になっているのかも知れぬ。

「はようはよう」と言われて育つと、はようやらんといかん!という思いが、すべての行為をあせらせるのもそのせいか?
すると行為そのものが手薄になり、おろそかになり、失敗したり、つまずいたりするんじゃね?
落ち着きがないのは、斜め前方の頭を転さないために、あわてて足を出しまくってるからじゃね?


よし。いったん、落ち着こう。
落ち着くためには?
頭をまっすぐ立てること。(あたりまえじゃ)
はやる気持ちを、ぐっとこらえて、今あることに意識を向ける。
「今ここにいる」とは、今している行為そのものに焦点を当てることだ。

今見えているもの、今動いているからだ、今触っているもの、今聞こえているもの、今感じていること、今考えていること。
まさに今、ここで、起こっていることだけに、心を注ぐ。
それは「する」ことではなくて、「ある」ことなんやな。
ただ、そこにいて、ただそのまわりに起こっていることを感じ、味わう。

つまりアホになるってこと?

だな(笑)。

今ここに心を注ぐと、重心がまっすぐになる。
決して前には倒れない。だから余裕を持って、前に進むことが出来る。

じつは心が前のめりになっているだけだった。
その前のめりになっている心に気がつく。ぐっとカラダを起こして、今あることにだけにいる。

するとカラダは勝手に動く。勝手に動いて、勝手に物事は進んでいく。
本当は「私」が「やっている」のではなかったと気づく。

今動いている自分をただ観る。
今感じている気分をただ味わう。
アホになると、物事は自然に進みはじめる。


絵:「うみんば」/スマホケース


2017年1月7日土曜日

小さな喫茶店での個展、はじまりました

「芽吹き」和紙、洋紙、水彩、クレヨン

きのうから、「つくし紙絵展小品」の展覧会が始まりました。 高尾の奥にある小さな喫茶店です。 ここにくるには、高尾の駅からバスを使うのがいいと思います。

駅から15分ぐらいのバス旅行ですが、途中の高尾の山々や村の雰囲気が、東京都とおもえないほど、とてもきれいです。窓からの景色を楽しまれてもいいかも。 京王バス「小仏行き」のバス。 高尾駅北口から出ています。 本数が少ないです。 平日は1時間に1、2本となります。 「裏高尾」バス停から、進行方向に歩いて1分。 日曜日の時刻表 9時  32、52 10時 12、32、52 11時 12 12時 12、42 13時 12、42 14時 12、42 15時 12、42

土曜日の時刻表
9時  32、52 10時 12、32、52 11時 12、 12時 12、42 13時 12、42 14時 12、42 15時 12、42

平日の時刻表
10時 12、 11時 12 12時 12、 13時 12、42 14時 12、42 15時 12、 基本的に日曜日、午前中、時々午後まで(笑)おります。 ご連絡いただければ、時間があえばそれ以外にも出向きます。 みなさまにおあいできる時を楽しみに!

手の振動


朝目が覚めると、手がジンジンしているのに気づく。
痛みじゃなくて、ジンジンしている。まるでそこから何かが生まれでて来るかのような振動。

ああ、そうか。バイトで手をガンガン使っている。制作で手をガンガン使っている。畑で手をガンガン使っている。食事を作るのに、掃除洗濯するのに、手をガンガン使っている。

なのに私は、その当り前によく働いてくれる手になんにも感謝していなかったなあ。

暖かいお布団の中で、手をさすりながらお礼を言う。
手さん、いつも本当にありがとう。よく働いてくれてるよね。

どこぞこれからもよろしくおねがいします。

2017年1月2日月曜日

制作現場


みなさま。
あけましておめでとうございます。
みなさまにとって、今年もますます良い年になりますように。


只今、今月6日からの小さな個展に向けて、おとそ返上して(うそw)制作中です。

制作現場をダンナが写真に撮ってくれたので、どんな状況で作っているのか、トリセツいたします。

レイアウトし終わった状態。
これからのり付け。

それまでの悪戦苦闘は、残念ながらカメラに収めてない。
の、ほうがいいかも。
だって、とんでもなく乱れて汚い状態だもん(笑)。

さて、のり付けの前に台紙を水張りしておきます。
こうしないと、紙をのり付けしたとたん、
水のせいでグニャグニャに曲がってしまうので、
台紙自体をびしっとさせておくのです。
乾くと、アーラ不思議。
全部がびしっときれいに平らになってくれます。


下の和紙から順番に貼付けていくので、
上にレイアウトしたものを、はずしていきます。
念のためレイアウト状態をメモ代わりにカメラに収めておきますが、
いったんゼロに戻るので、
ベストレイアウトを二度と作れないかも知れない
という怖れで、ビビります。


台紙に貼りつけられた和紙の上に、
新たな気持ちでレイアウトしていきます。

さて、できあがりは?

展覧会場にてごらんください〜〜(いじわる〜〜〜w)。

2017年1月1日日曜日

私の料理の原点は煮物

安い材料でお正月

私の料理の原点は、煮物だとおもう。
生まれてはじめて作ったインスタントラーメンも感慨深いが、いろんな意味で煮物が原点にある。

高校時代、母が毎朝仕事に出かける前に、甲高い声で台所から叫ぶ。
「つくし~~!下へ降りて来なさい~~!」

ふとんにくるまってぐずぐずしていると、
「はよう~~。はようおりてきなさ~~い!」

母は時間におわれている。ぐずぐずしてたら、電車に乗り遅れるから必死だ。
娘は渋々二階からおりて来る。

「カボチャの煮付けしといて!それからサンマの塩焼き!ほんで小松菜でおひたしつくっちょきなさい!ええかね!」
「え~~~」
ねぼけたやつに矢継ぎ早に命令されても頭は動かない。
「わかったかね!ちゃんとやっちょきなさいよ!」
「え~~~。。。」

「バタン!」
玄関のドアが閉まる。
「。。。。。。」

高校時代、私はバンドをやっていた。
学校が終ると、近くにある高知大学にある軽音クラブの一室を借りて、毎日練習をやっていた。そのあと高知の街の楽器屋に行き、メンバーと楽器屋のお兄さんとライブの打ち合わせをするのだ。
そんな多忙な中、母がかえってくるまでにいそいで家にもどってカボチャの煮付けやら、サンマの塩焼き、小松菜のおひたしを作らなければならない。
ヘタコクと、「なんぞね!この味付けは!」と、雷が落ちる。
へたくそなカボチャの煮付けはその場でぼそっと流しに捨てられた。

母は自分では料理学校に通っていたくせに、娘には「母親の背中を見てれば覚える」と、むちゃくちゃな理論を展開。自力で覚えなければならなかった。だから母の舌にあうように必死で作った。

仕事で忙しい母は、毎日かえってくるのが遅く(ほんとはパチンコして遊んでいたんだが)、家にいる時は、身体も弱かったので、たいてい横になっていた。
たまに元気で家にいる時は、やたらにこったデコレーションケーキを作っていたので、高校時代の晩ご飯の思い出は、何だかいつも私が作っていた気がする(笑)。
母は母なりにいろんな苦労をしていたので、パチンコやケーキ作りで発散しなくてはいけなかったのだろう。

お正月にお煮染めを作るたびに、母に怒られながら煮物を作っていたことを思いだす。
だから私の料理の原点は煮物。
料理を作るのがいやだったのは、その思い出からだろう。

だけど、いまごろになっておもう。
本当は母と一緒にいる時間がうれしかったのだ。

今は煮物を作りながら、私は料理が好きだったのだと気がついた。