2016年7月21日木曜日

それ、問題?



「これは問題である」と思わなければ、どこに問題がある?
これは「”それ”は在る」という本に出て来るラメッシの言葉だ。


人に会うと、それぞれが抱えている問題を垣間みるときがある。
そうだよなー、あれは問題だよなーって、ついおもう。

だけど「それって問題?」って自分に問いかけてみると、
「はて?」とおもう。

人の問題は人の問題であって、自分の問題じゃない。
彼彼女の問題を、自分の問題として取り込むことじゃないし、彼らが抱えている問題を「ああ、それは問題だ」と、思ってさし上げる必要もないではないか。


彼らの「問題」を「それ、問題?」
っていちいち自分に問いかけているうちに、
「いや。これ別に問題じゃないなあー」っておもいはじめる。

人のことだから、妙に引けて見ているのかも知れないし、単に薄情なだけかもしれんw

でも彼らの問題を、ここにいるわたし一人が、
「それ、問題に一票!」って、投票して差し上げるよりは、
「無投票。」
にしておいたほうが、彼らにとってもちょっとは問題の荷物が軽くなるよーな気がする。妙な理屈じゃが。w



そーやって考えていくと、自分に向けている「問題意識」も、ひとつひとつ吟味してみると、そこまで重要じゃないかんじになってくる。

ふとなにかをやろうとする自分に、そのきっかけになっている観念があることに気がつく。「こうでなければ問題だ」という観念。

そこですかさず問うてみる。
「それ、問題?」
「そりゃ、やらないとだめだろう!」
「ほんとに?」
「え。。。?」

いきなり、それ問題かい?って聞かれると、とまどうのはなんだろね。
そうやって、聞いていくと、だんだん、そのことが重要ではなくなってきて、何だかどっちでもいいよーな感じになって、それまで抱えていた荷が軽くなるのは、なんだろうね。
ぎゅーっと凝縮していた身体のこわばりが、それに対する疑問を持つことによって、じょじょに、ほどけていくかんじがするのは、なんだろうね。

問題を意識すればするほど、それは固形化していき、はっきりとそこに存在しはじめる。だけどそれを重要視しなくなればなるほど、それはゆるゆるとほどけていき、問題の対象物が希薄になっていくのだ。

そうやって、自分の問題も他人の問題も、何だか希薄になってゆるゆるとほどけていくと、この世はだんだん軽くなって見えて来る。


それ、モーマンタイ。


絵:ラブロマンス表紙の絵

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