2015年9月19日土曜日

自我は自分の手柄にする(笑)



「あたまにうかんだ考えって、コントロールできます?
私たちって、四六時中、ネガティブなこと考えてませんか?
心配や、不安や、怒りや、羨望や。。。
もし、うかぶ考えをコントロールできるんなら、一日中楽しいこと考えたらいいじゃないですか。悪い事が起こっても、全然大丈夫って。
でもできませんよね?
私たちはうかぶ考えのコントロールは出来ないんです」

ある人のユーチューブで、この言葉を聞いたとき、あーーーーーーっ!っておもった。

行動も、考える前にカラダが動き、その0、何秒後かに、考えが起きている、と読んだことがある。自我は、カラダが行動に移す準備をしはじめたあとに「わしが考えておこした!」と言い張るのだ。

これと同じように、ふっとうかんだ考えでさえも、自我は「わしが考えた」と言い張るのだろう。そしてその「わしが考えた」考えに乗っかって、ますます心配したリ、ますます怒ったりするのだ。

自我は現れた現象に乗っかって、楽しんだり怒ったり苦しんだりするようだ。
目の前で起こる現象を見て、「あれはコーダ、それはドーダ」と意見をいい、
耳で聞く音に「ああ~もううるさいなあ~」といい、
食べた昼飯に「まずいソバだな」と文句を言う。

そしてうかんだ考えに
「ああ、それはコーデ、アーで、あのときは、ああするより他なかったんだ」
と、自分を正当化し、相手のせいにし、
次会ったら、あいつにこー言ってやろうと、エアー演説をする。
そうやって、あたまの中は四六時中(主にネガティブなことに)忙しいのだ。

だが、その中に取り込まれなくなることは出来る気がする。

うかんだ考えに、わしらはなにも出来ない。
いや何もする必要はないんではないか。
ただうかんだままにしておく。
ネガティブな考えも、ただうかんできた。それだけなのだ。

私たち何かにつけて意味付けをする。黒いネコが横切ったから不幸なことが起こるとか、不安がよぎると虫の知らせだという。。。。
その意味付けは心をますます不安にさせる。その「問題」を「解決」しようとやっきになる。しばらくはそのことであたまがいっぱいになる。

自我はそうやって自分のストーリーを続けさせているのかも知れない。

夜中に目をさます。
あたまの中にあらゆる不安材料が押し寄せる。
だがやまんばはそのうかんだものに乗っからなかった。
目が覚めると朝になっていた。


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