2015年2月7日土曜日

戦場は心の中にある



「悪行は許さない。たとえどんな理由があろうとも。」
「殴られたら、殴り返せ。」
と、ドラマの主人公たちが言った。

前者は正しいことで、後者は悪いこと。
前者は正論で、後者はサバイバー。
前者はみかたによっちゃあつまんない性格で、後者は、うほほ~と魅力的な性格。

でもどっちもやったことを憎むというありかたで、けっきょく同じ穴のムジナだ。

大人的に殴られても殴り返さないとしても、そのやったやつを心の中で恨んでいたら、心の中でおなじことをしている。表に見えるか見えないだけのこと。

表に見えなかったらいいってなかんじがある。最近とみに表裏が激しい。表面を繕うのがうまくなってきた。だから能面みたいな顔になる。

社会のテスト前の生徒みたいなもんだ。
「揺らすなよ。オレを揺らすなよ。ゆすったら、きのう徹夜で覚えた年表が頭から落ちるだろ!」
と、シカトするよーなもんだ。

「オレをこそばすなよ。こそばしたら、ホンネが出ちゃうじゃないか!」
と、アルカイックスマイルをキープする。
そんなもんだから、とってもあやうい。ちょっと揺らせば、思いっきりぐらつくぐらい不安定な心。

心の中はたいへん。嵐が渦巻いている。あのヤロこのヤロのオンパレード。
言葉にならない裁く心が人や自分を責め立てる。
そしてあるとき、それが満杯になったとき、ぶち切れる。唐突にキレる。あばれる。

ひとはそれをみて、いったい何がおこったの?という。おかしーんじゃないの?という。ぜんぜんわかんなーい、という。

本人もびっくりする。いったいオレに何がおこったんだ?!と。
そして自分が怖くなる。自分を監視するようになる。自分を信じられなくなる。自分をおさえこむ。いけない、いけないんだ。そんなことしたら、そんなこと考えたら。。。と、めちゃくちゃおさえこむ。
そしてそれが満杯になると、なんてことないことでぶち切れる。

ニュースで見聞きする事件に突発的なものが多いのも、そんな心の状態を表しているんじゃないだろうか。犯人と知り合いの人々は口々に言う。
「あんなおとなしい人が。。」
「あんないい子だった子が。。。」

そうなんだ。いい人であるからゆえに、くるしむ。
心の中はこうであらねばならない。人としてこうでなければ。。。と。



やまんばはずっと自分を責めていた。裁いていた。
こんな絵じゃないけない!もっと上手にならなきゃ、もっとぐっとくる絵にしなきゃ、もっといいアイディアで、もっとああで、こうで。。。!!!

そりゃ、描くの、いやんなるわな。
だれだって、そばでベシベシムチ打たれてたら、
「かっ、、描きたくねえ!!!!」って、なるわな。

自分を憎んでいたんだ。
自分はいたらない、中途半端なニンゲンなんだ。だからムチ打って絵を描かなきゃいけないんだ。そうでないとこの世に生きている資格はないのだ。
そう思ってきたんだ。
でも、そんなことは自分を痛めつけるだけでしかなかった。自分を小さくしているだけだった。矮小のそのまた矮小の自分を作り上げるだけだったんだ。。。。



ねえ。これはわたしだけじゃないと思うんだ。
みんな自分を責めてる。
これじゃいけないんだ。それでもいけないんだ。もっともっともっと。。。って。
自分でなんとかしなきゃって思ってる。

その自分を責める行為が、はじけようとするほんとうの心を抑圧していく。自分を責めているのが、いつのまにか身近な人を責めている。こうじゃないんだ!そうじゃないんだ!って。



戦争は自分の心の中でおこっている。
その戦場をながめてみよう。何の判断もせず。いいとか悪いとか言わず。否定もせず。

そこで戦っている自分をながめ、
そしてそんな自分を、そっと赦そう。



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