2014年7月8日火曜日

どこまで行っても主観



フォーカスすれば、いいも悪いも関係なく、そこに存在するかのように見える。
これが多分量子力学の言わんとしていることなんではないか。それにすべてが言い尽くされている。物理学はもっとその奥に互いを引き寄せる「力」の物質が存在していると信じているからもっと「物質」をさぐる。でもそれは「物質」ではなくて、「意識」なのではないか。
いや、ひょっとすると、「意識」も「物質」と言えるのかもしれないが。
いや、そもそも物質は意識なのではないか?

STAF細胞が小保方さんしか作れないのは、彼女の信念が作り出しているからだ。
誰かがそれをやってもうまく行かないのは、そこに疑いがあるからなのではないか。
もし頭のよさそーな、いかにも学者っぽい人が「発見」してたら、みんなはあっというまに「証明」できたかもしれない。
しかしムーミンがそこらに飛んでる割烹着おネエちゃんの発表となると、どっかで「ホンマかいな?」って、つっこみたくなるではないか。事が重大なものだけに、頭の固い学者は疑ってかかる。その「信念」が再現を阻んでいるのかもしれない。

客観性って、本当に存在するんだろうか。だれかが「それは赤色です」といっても、「そうです、それは赤色です」といっても、「間違いなくそれは赤色です」といっても、各々がもっている二つの目から言ってるだけのことで、どこまでいっても主観ではないか。
「あるよね?」って聞いて、「はいあります」っていったり、「いいえありません」って言っても、主観ではないか。わしらは色んなこと疑うくせに、自分の目を疑ったことがない(笑)。
第三者が見たって言ったって、
「それ、自分の目で見てるし主観やん」と、つっこみたくなる。

そもそも「証明できる」ものなどないんではないか?

この世の現象はすべて「証明」されなくてはいけないらしいけど、最近の気象も「前例がない」とか「常識では考えられない」とか言っちゃってるし、じゃあ常識ってなんよ。それかて勝手にパターンを見つけて(パターンがあるはずだと信じているから)それを当てはめただけじゃーん。
だけどおエライさんが言うから「そうにきまっている」ってことになって、こーなったら、こーなるわけで、それが世に言うジョーシキになる。

んで、そーじゃないと、「これはありえない新発見だ!」とか「奇跡だ!」とか「オーパーツだ!」とかいってごまかす。だけど最近じゃそこらじゅうオーパーツだらけ(笑)。

だから、「これが問題だ!」と言って深刻になる必要もひょっとしたらないんかもしれん。こーなったら、じぇ~~ったいこうなる!ってわけでもない。

でも「そうなるに決まっている、そうなるに決まっている、、」
って呪文のように心でず~~~~っと思ってたら、宇宙の力学さんが
「あー、はいはい。ではそのよーに」
って、取りはからってくれるわけさあ。


絵:「お月見」/裏高尾の不思議な仲間たちより
やまんばの住みかは古木のウロの中。月を愛でながらワインを飲む。

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