2013年9月20日金曜日

はいっ、降参します



わたしたちは、ずーっと抵抗し続けているんではないか。

起きてきた出来事に、「それはイヤだ」と抵抗し続ける。
それまでそこに普通にあった事など忘れていたくせに、いざそれがなくなると、それじゃイヤだ!と抵抗する。
そしてもう一度あれが欲しい!あれが普通にそこにあってほしい!とほしがるのだ。

するとそこに葛藤が生まれる。
もうないものをあれがあったら、あれがあってくれてたなら、あたしは幸せだったのに。。。。と。
だけどそれがあったときなど、「それがなにか?」となってたわけだ。

つまり、なくなるとほしくなる。

もしくは、「あれはあって普通よ」と、いわゆる『常識』をもちだされると、
「あたしにはそれがない!」と、ない事を葛藤する。

つまり、ないものをほしがる。

つまりつまり、わしらは、ないものねだりなのだ。
問題意識なのだ。
よくいわれる「危機感をもて」なのだ。

それが自我が育つエサ。
自我は存在したがるので、その存在をアピールする。

いったいだれに?
わしらの本体に。

いつも何かに抵抗していないか?いつも何かを否定していないか?
痛みに、哀しみに、状況に。。。

それが自我を活動的にさせる。考える。思考する。
しかしそこから逃れようとする抵抗によって、生み出されるアイディアは、やがて混乱を生む。これがこうだからこうする、という理由がある行動は、矛盾をはらむ。

やまんばはいままでそーやって、抵抗ばっかりしてきた。これがこうだからこうするのが論理的なのだと、いろんなことをやってきた。だけどそれは自分を混乱させるばかりだった。


あるがままとは、抵抗をしない事だ。
起きてきた出来事に、
「それはそのままで、よろしくおねがいします」
と、降参することのようだ。
すると宇宙の秩序は「はいはい」と、勝手にことを進めてくれる。
抵抗をしないとは、なんて楽な事なのだ。

今まで自分でなんとかするもんだ、とおもってきた。
だけど今は、自分でなんとかできるなんておこがましかったなあ~とおもう。

自我が大騒ぎして事態をごちゃごちゃにしてきてたんだ。

ほんとは今まで宇宙さんがなんとかしてくれてたんだ。決して悪いようにはしていなかったんだ。

これまでも、そしてこれからも。

力をぬいて、赤とんぼがたのしく舞い踊る姿を、ただ楽しもうとおもう。

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