2013年5月4日土曜日

人の気持ちは伝染する



おとついegasunのマスターこと舞台美術家江頭さんのパートナー、令子先生の生徒たちのダンスパフォーマンスを見せてもらった。
きらびやかな照明と音楽の中できれいな衣装で踊る彼らは華やかだった。久しぶりに違った世界を楽しませてもらった。

その中で一人とっても輝いている女の子がいた。年は4歳ぐらいだろうか。終始ニコニコして踊っていた。その彼女のかわいい雰囲気が会場に暖かさをもたらしていた。
取り立てて踊りが上手でもないのに、なぜか彼女に視線がいく。そしておもわずほほえんでしまうのだ。

彼女はただ踊っていることだけを楽しんでいるように見えた。失敗したらどうしようとか、ちゃんと踊らないといけないとか、間違えないようにとか、なんてさらさら考えもつかなくて、ただきれいな衣装を着て、楽しい音楽の中で、明るいライトに照らされて身体をおもいっきり動かす。心は「ああ、うれしい」というおもいだけが彼女を満たしているように見えた。
きっと何度か失敗もしたんだろうけど、そんなことちっとも気にならなかった。

それとは対照的に、顔がこわばっている人たちもいた。彼女たちは失敗しないように、間違えないようにというおもいが顔にでていた。
だからこっちも何となく固唾をのんで見てしまう。間違えないだろうか、大丈夫だろうか、ああ、やっぱしやっちゃった。みたいな。
人の気持ちは伝染する。踊り手の緊張が見ている側にも伝わってくる。するとその人の気持ちにぴったりと合っちゃうのだ。

失敗したらどうしようという気持ちは、他人にもちゃんとわかるのだから、共感してもらっているのだ。みんなやさしいじゃないか。
失敗しても共感してもらえているし、失敗なんか気にしてなくてただ楽しんでも、共感してくれている。
どっちでもいいのだ。失敗しても、しなくても。

失敗してはイケナイというおもいは、人の視線を気にしている。だけどその他人さえもその失敗に共感してくれている。だったら、失敗のどこがいけないの?

すべてのダンスが終わり、全員が出てきてあいさつをした。あの緊張していた彼らはいつもの笑顔に戻っていた。じつはとってもかわいい子だった。もったいないなあ~。あの笑顔を本番でだせたらもっとよかったのになあ。

あの小さな女の子には、まだ自我がなかったのだろう。他人と自分という区別があまりなかったのだろう。だがやがて他人と自分という境界線をもち始める。となりで踊っていた少し年上の女の子は、すでに自我を形成しはじめていて、顔に緊張の色が出ていた。

他人と自分という区別が人生に苦しみを生む。
それはひとえに他人の心が読めないからだろうな。だけど他人の心が全部読めたら、じつはみんな同じように苦しんでいることを知る。ということは、他人は自分とほとんど変わらないということだ。
失敗してはいけないというアイディアは、他人が自分とは違うというおもいからくる。でも本当は何も違わないんだ。だとしたら失敗を恐れる必要もないんではないのか。

ただあの子のように「ああ、うれしい」という感じで生きれたら、きっとまわりにも伝染してあったかくなるんだろうな。
やまんばもあの子のように生きたいなあ。

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