2012年12月17日月曜日

エアー法則2



やーな気分になった瞬間のことをとらえてみよう。

「お山がきれい」まではいい気分だった。
そのあとす~っと冷たい風が吹いた。身体がぶるっと震えた。この瞬間「震える=身体に危険信号」という動物的反応がおこった。たぶん脳の真ん中あたりのは虫類の脳が反応したと思える。そくざに「寒い」という言葉が前頭葉に浮かんだ。その後はその寒いから連想されるやーなことを芋づる方式に引っぱりあげてくるわけだ。

「寒い」という言葉からポジティブな連想を起こす人はあまりいない。どっちかっちゅーと、やーなものを思い起こすはずだ。ポジティブな連想をする人はこのばあい「涼しい」という言葉を発するだろう。

つまり「寒い」という言葉が思い浮かんだ瞬間から、ネガティブな思考にシフトしはじめているのだ。このとき、この瞬間の移行に気がつけば、その思考が「ガン」にまで到達することはなかった。

否定的な思考の先には、明快な答えは決して見出せないとリチャード・カールソンはいう。思考の先には混乱しかない、とクリシュナムルティはいう。そして思考を止めるために仏教は座禅を組み、滝に打たれる。インドで変な格好をしてヨガのポーズをするのも、実は身体に意識を持っていかせ、よけいな思考を止めるためなんではないか。
思考っていったいなんなのだ?

やまんばは自分の思考を追いかけてみた。
人は思考を「する」が、その思考を「追いかける」ということをあまりしない。思考をするのは思考の上に乗っかることだ。波乗りサーフィンのようなものだな。
追いかけるのは、思考がどこへ向かうのかを外から観察すること。サーフボードには乗らない。

するとでるわでるわ、ネガティブの嵐!頭に浮かぶことの90%は、何かしらのネガティブな、否定的な思考だったのだ。

ふつうは自分の思考を追いかけるという習慣がないため、自分がどういう種類の思考をしているか気がつかない。だがあらためてよく観察すると、「腰が痛い」とか「ああ、明日もまた満員電車だ」とか「あたしはこのままでいいんだろうか。。」とか「まったく政治家は。。。」などとつぶやいている。

これらの言葉の後ろに、否定的なものを見出せるだろうか。はい。そのとおり。すでにネガティブという名の洞窟の入り口に立って、洞窟の中をのぞいておるわけです。
するとそこから先は、ますますネガティブなアイディアが浮かび、どんどんエスカレートし、投げやりになり、「ふっ、人生なんてそんなもんよ」と冷笑して(大人ぶって)、やーな気分に落ち着いて一件落着(笑)。

さて、この思考の一連のコースは、人にとって必要なもんなんだろうか。
カールソンがいう「否定的な思考に明快な解決法は見出せない」はほんとうだろうか。やまんばは自分の否定的な思考にくっついてそっと様子を見守った。すると。。。。
どこまでいっても、いいアイディアはみいだせなかった。むしろどんどんドつぼにはまっていって、それでも追いかけて見守っていると、死にたい気分にまでなった。
なんやこれ?

いやいやちがうだろう。思考して、思考して、思考したからこーんな素晴らしい文明が起ったんだ。たしかにそうだ。やまんばだけが、ひとりで否定的な思考からどつぼにはまったんだ。そうにきまっている。思考ってスンバらしい道具なのだ!

しかし思考には、もうひとつ別の面がある。
思考することがすべて「正しい行為」と思いすぎるのは危険なようなのだ。

2 件のコメント:

まいうぅパパ さんのコメント...

そうね。
思考するのは大切だけど、考えすぎは、ハマるパターンですね!!
そんな時は飲むんさ!!
って、いつもワンパターンでスマン…

つくし さんのコメント...

おっし。
じゃ、年末も飲んで思考を忘れましょー!
。。。って、ただののんべの正当化に一役買っちまったエアー法則であった(笑)。