2012年9月12日水曜日

「価値観ゲーム」

量子力学ではジョーシキらしい。
「観察物は、観察者の影響を受ける」。
は?なんじゃそりゃ。
よーするに、思ったものがそのようになる、というような意味だ。
「フッフッフ。この実験したら、そーなる」
と思ってやると、そーなる。
「じゃあ、これはこーなるのか?」と実験するとこーなる。
「ん?じゃあ、反対になる可能性はあるのか?」
と実験すると、言った通りに反対になる。
「え〜〜〜〜っ。それって、どーなの?」と。

つまりどうとても変化しちまうのだ。ちっこい量子の世界でこれだから、眼に見える世界でも同じことがおこなわれている。ただ物質化するまでにちと時間がかかるだけだ。
これを利用したのが「引き寄せの法則」みたいなもんだろう。だがここに落とし穴がある。

「お金持ちになりますように」と思って、必死でお金お金と引き寄せる。でもなかなか引き寄せられない。なんでか。
だって、「お金持ちになれますように」は、その前提に「お金がない」と思っているからだ。心は「私にはお金がないのだ。だからお金を引き寄せる」という考えにビッタリ張り付いている。ベースにあるのはお金はないということだ。お金がないという足かせをはめながら、必死でもがいて前に進もうとしているようなもんだ。ものすごい努力の結果、1ミリぐらいしか前に進めないのだ。

じゃあ、こう考えりゃいいではないか。お金は山ほどある。私にはうなるほどある。だがもちょっと必要だから、お金よ集まれと。(そんくらいあるんだったら、あえてほしがる必要はないんだが)

はて。ビンボー人にそんなイメージはできるだろうか?
御曹司の娘の気分になってゆったりとしたソファに座り、
「あら、お金なんていらないほどあるわ。だけど、もちょっとちょうだい」
(そんなふうにいう御曹司の娘はいねえだろ!)

やまんばもその実、やってみた。谷口義春さん流のやりかたで、さもそこにお金がうなるほどあるふうなイメージで。ところがどうだ。てんでお金持ちになれねえじゃねえか。

で、ここで量子力学が登場する。
思ったものがカタチになるのだ。そのことを徹底的に知ることだ。という事は自分がどのように考えているのか、どのようなことを信じて疑わないのか、を徹底的に観察することだ。
口先だけで「私は大金持ち」と言葉でいってもムダだ。ちょっとばかしイメージ力があってもおいつけない。
肝心なのは、その奥深くにひそんでいる思い込みだ。そこに量子は反応している。

自分はダメな人間だと思い込んでいれば、それを実感させてくれる出来事が起こる。
からだが弱いんじゃないかと思っていれば、それを演じてくれる。
この世は自分の鏡だと言われているのは、そういうふうに自分で思っていることが、目の前に現れて来るからのようだ。目の前に現れてくれて、「ああ自分はそう思っているんだな」と気づかせてくれているようなのだ。これが量子のお仕事のようだ。


私たちはつねに「何かが足りない」と思い続けていると思わないか。
お金が足りない、若さが足りない、健康が足りない、仕事が足りない、人生の豊かさが足りない、休みが足りない、旅行が足りない、時間が足りない、いい部下が足りない、いい政治家が足りない、いい医療が足りない、いい教育が足りない、いい環境が足りない、自分の性格のここが足りない、あの人のこの部分が足りない、足りない、足りない、足りない。。。
足りないことに量子は反応する。
「なるほど、足りないんだな。じゃあ足りないようにしよう!」

ほんとはすべて足りてるのかもしれない。
やまんばは最近そう疑うようになった。すべてはここにすでにあるのかもしれない?と。でもまだそれを信じられない。だからその足りていないと思っている心を探ることにした。

「あれも足りないこれも足りない」と思っている心を探すのはおもしろい。
それは生まれてから今に至るまでに、自分にへばりついているこの世の「価値観ゲーム(洗脳ゲームともいえるな)」を観察することにもつながっていたのだ。

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