2012年2月28日火曜日

はじめに心ありき

文明が起った始まりはどこだろう。
私たちは「こうなりたい」という願望があってそうやって来た。
こうなりたいとおもったきっかけは?
はじめに心があったんじゃなかったろうか。

その心が、この文明や戦争や、そしてこの混沌を作り上げて来たんではなかったろうか。たとえ一部の人間が「戦争やろう」といいだしてやったとしても、やっぱりそこに戦争するという心があった。

心は言葉で出来ている。怒りや悲しみは、言葉でなく感情だけが動くといっても、その元になるものは、誰かさんがこうするからいやだとか、この病気がつらいとか、みな言葉で出来ている。

言葉はすでに過去に作られた既知のものである。机、と言えば、「ああ、あれね」と知っている。難しい四文字熟語でさえ、辞書を見れば「ああ、こういう意味ね」とすでに誰かが「知っている」ものである。だから言葉は知っているもので出来ている。
その知っているもので出来たものが組み合わさって文章になる。すなわち、心はすでに知っているもので満たされている。

考えたら何とかなると私たちは信じている。だから一生懸命考える。この世の仕組みの問題、自分の将来の問題。。。だが考えるのは心だ。心は言葉を使っている。その言葉は過去のものだ。だから私たちは、過去のものを一所懸命拾い集めて新しい事をやろうとしている。

これまでだって一所懸命考えて来た。そしてこの文明が出来た。という。その文明?どれ?どこが文明なのだ?地球、人々、生き物をこれほど破壊する文明?これを文明と呼べるのか?これが進化なのか?破壊することが?

戦争の悲劇はどこぞのえらい将校さんがやったことだといえるのだろうか。私たち一般市民の中にも戦争はある。自分の家族の中にも戦争はある。今、ニュースで見る犯罪の多くは家族内で行なわれている。母と息子、父と娘、兄弟、祖父と孫。。かっとなった、気がついたら、だれでもよかった、みんなそんな言葉で犯罪の理由にしている。

その犯罪が起るのはどこからだろう。心からじゃないのか。
心からわき起こる衝動。誰にだって起る衝動。それは国のせいとか、セーフのせいとか、システムのせいなんかじゃないのではないのか。

私たちは、心のあつかいにあまり重きを置かなかった。「人にやさしくしなさい」「自然にやさしく」「地球にやさしく」そんな心地よい言葉でくるむ事によって解決できると思って来た。
だが文明の始まりは心だ。その心を暴く時期に来ている。心はどんなクセを持っていて、どんなに厄介で、どんなに人を振り回すかをはっきりと知る時期だと思う。こんなにこの文明が煮詰まってどこにも行けない閉塞感があるいまだから。

地球の問題児であるゆえんは、この人間種が、ある一方方向にだけ発達させて来た心の中に問題があるのではないか、そうやまんばは思ったのであった。

2 件のコメント:

まいうぅーパパ さんのコメント...

そのもの自体に全く価値の無い「お金」を考え付いたのが、そもそもの不幸の始まりでしょうね。
とても便利になったけれども、自分と家族以外に守るものが出来てしまった・・・。
命を懸けて、自分と、自分の家族を守るのは動物としての本能的なものなので、「お金」(やお金を生み出す土地)を守るために、命を懸けるのもある意味しょうがない・・・。

つくし さんのコメント...

まさに、思いついちゃいましたね、お金。
心は「もっともっと」と言い出すから、どんどん必要になっちゃった。そのうちどこまで必要なのかも分らなくなっちゃって、そーしたらますます守るものが増えて、周りがなんだか敵に見えてきてSECOMせんといかんし、税金取られるからあっちこっちに隠さんといかんし、いろんなことで右往左往する人間種であります。