2012年1月18日水曜日

ジョーシキを疑え

石けんなくても生きられる。肥料なしでも野菜は育つ。

そんなことを体験してくると、世の中のジョーシキを疑いはじめちゃうのだ。必要必要と言われているもの、こうしなきゃいけないと言われているのも、ほんとにそーなのか。

暴飲暴食はダメ、肉食はダメ、酒タバコはダメ、甘いものはダメ、合成保存料はダメ、合成着色料もダメ。
しちゃあいけないのに、やっちゃうから、ほら、あんた病気になった、といわれる。
だけど目の前に肉汁したたる焼肉をうまそーに食うシーンを連日見せつけられる。新聞の折り込みにも雑誌の広告にもうまそーなもの、心奪われるものを山ほど見せつけておいて
「あんた、こーんなもの食っちゃったら、とんでもないですよ」
と後ろからささやかれる。これは馬の前にぶら下げられたニンジン状態。ストレスはたまる一方。

食え食え、ほらもっと食え、といいつつ、早期発見早期治療という。
その誘惑に負けて食べて、メタボ検診にいくと「はい、メタボです」といわれる。「ほかにこんなのが見つかりました」と見せられる。「はい、あなたは病気です」とくる。
なんかベルトコンベヤーに乗せられてないか?

ああ、オレは酒飲み過ぎたから病気になったんだとか、ああ、タバコ吸い過ぎたから肺がんになったんだと思い込む。けど私の友だちはタバコは一切やらないのに最近肺がんになった。彼女は30年前にちょこっといっとき吸ったタバコが原因だと言う。ほんとかなあ。。。

そう思い込まされているだけなんじゃないか。あれが悪いこれが悪い。止めときゃいいのにやっちゃったから、ああ、やっぱしそーなった。。。
と、おもいこまされてるんじゃねえのかい。

そのおろおろ、イライラ、どきどき、するその動揺がストレスを生んで病気を作っちゃうんじゃねえか?
だいたいそのおろおろ、どきどきさせられるのは、「こーしろ、あーしろ」「そうしないとあんた、どーなっても知らんでえ。そのうち病気になるでえ」と脅されて来たからなんじゃないか?


病気は物質的な原因というよりは、もっとその動揺している「心」に原因があるんではないかとおもうのだ。

その動揺させる原因は、この世のジョーシキ、
こうあるべき、
理想の姿、
理想の食事、
理想のダンナ、
理想の仕事、
理想の人生のカタチ、
そんなガッチリ組み込まれた条件づけと、目の前に存在している現実の自分の姿を比べて作られる葛藤なのだ。

では、そのジョーシキは絶対的に正しいのか?
そのジョーシキに全員が合わせなくてはいけない法律でもあるのか?

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

いやいやじょーしき人ってそんなに多くないっすから・・・。

つくし さんのコメント...

いないよね〜。
いないんだけど、なんかこう、ジョーシキにとらわれちゃうんだよね。
わしだけか?