2011年4月13日水曜日

背負いきれない現実




ニューヨークから日本に戻って来て、若者たちにあった。彼らは私が話すスピリチュアルのことや2012年の事など、何でも同意してくれる。彼らはこの物質文明には何か他の存在があると言う。そしてこの文明を信じていないともいう。今のこの文明にたいする批判や疑問のようなものももち備えていて、やまんばと同世代の人たちより、よっぽど話が分かる奴らだった。

ところが今回未曾有の大惨事が起り、彼らはとても現実的である事がわかったのだ。放射能の勉強を徹底的にし、どこらへんまでが安全でどこから危ないのか。子供たちにはどんな影響が及び、どんな未来が想定されるのか。

やまんばはなんだか不思議であった。目に見えない世界を信じ、その存在を理解していると思っていた彼らは、今その目に見えない放射能には反応するが、神とか、霊とか、妖精とか、宇宙人とか、ディーバとか、宇宙の摂理とか、てんで吹っ飛んでるみたいに見える。

自分の身を守るのは自分しかいない。子供を守るのは自分しかいない。そう思っているように見える。本気で守ろうとしているようにみえる。だが本当に自分の身は自分で守る事が出来るのだろうか。子供の身を自分で守りきれるのだろうか。いま子供が泣いている事の理由さえ分らなくても?

今までの自分の人生でも、自分を守ってこれたのだろうか。病気をコントロールできたのだろうか。仕事もコントロールできたのだろうか。こんな未曾有の大惨事が起ったのだ。それをカバーできると?将来自分の子供ががんにかかるかどうかを自分の責任にする事は、あまりにも酷な話だ。その責任はあまりにも大きすぎて、その大きさに、子供たちよりも、親の心がつぶれてしまうのではないか。そんなおせっかいな心配をしてしまう。

さらにふしぎなことに、彼らはこの文明を信じなくても、学者のいう事は信じるようだ。テレビのいう事は信じなくてもえらい人のいうことは信じるようだ。放射能が危ない、こんだけ危ないと。だがそもそもこの文明を作ったのはそういう彼らだったのではないか。ある法則を誰かが作ると、それをもとにあらゆる法則が出来る。だが元々が間違っていたらどうなるのだ。間違いに間違いがかさなってどんどんヘチへ向かう。気がついたら、とんでもなく違った方向に立っているとしたら。
このさい、この物質文明を信じないのであれば、徹底的にすべてを疑おうではないか。

アホなニンゲンが、アホを徹底したものを作ってしまったのだ。今それが手に負えなくて、おおさわぎしている。ニンゲンが偉大だからこんなものを作ったのではない。自然の摂理で出来上がったものを、自分が作った気になっているだけだ。

すべてを守りきれるものではない。すべてを背負いきれるものでもない。こういう事態になったのも、何かの意味がある。今この瞬間にも日本の北の方で何かが燃えている。ものすごいエネルギーの分裂が起っているのかもしれない。そのエネルギーはいったいなんだろう。ひょっとしたら、今この地球の中にもうひとつ別の宇宙が出来つつあるのかもしれないではないか。

私は、自分が今までもらって来た知識や、この地球上に現在あるアカデミーの知識の中だけで、ものを考えるのはやめようとおもう。そんな小さな知識で収まりきれるレベルではないかもしれないのだ。

私たちの中には、頭で考える知識ではない、何かもっと他の英知がある。
やまんばには、それに早く気がつけよ、とうながされているように思える。


絵:カットイラスト/TVぴあ「ミチバチのささやき」

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

なんか、こんな時代に生きられたことは
不幸なのかラッキーなのか・・。
良くわからなくなってしまいました。
私なんかは、回りの人たちはともかく
死ぬために生きてる。みたいな気持ちが
あって、この騒ぎで死ぬのはあり。かなぁ
などと思ってしまっております。
若い子供たちは不憫に思ってしまいますが
ひょっとしたら、すげぇ元気な一生を送る
かもしれないしね。

つくし さんのコメント...

死ぬために生きてるのはみんなおんなじだ。

みんな、ほんとはどう生きていいか分んない。今まで本気で自分の人生を生きた事ないから。
今、本気で生きるとは何なのじゃ〜?と言う問いかけを、全員にされている気がする。いかに生きるか、チャレンジする時なのかもしれない。

その大人の生きざまを見せる事が、なによりの子供にとっての教育だと思う。また、それが彼らの力になるのだ。