2010年3月7日日曜日

花粉症どうなった?




ここんところ、高尾はずーっと雨か曇り。昨日は珍しく晴れたので、畑はまだ土がべちゃべちゃなのに、なんだかほくほくとうれしくて何種類かの種をおろした。
雨ばかりにもかかわらず、あたりは梅の花が咲き誇って、いい香りが充満している。ここに住み始めて、初めて梅の花の匂いを知った。甘酸っぱい凛とした上品な、まさに日本のにおい。梅の花の香りはその年によって変わる。乾燥した年は全くと言っていいほど香らない。反対に湿度が多いと、とってもいいにおいを放つようにおもえる。ここの土地の人々はそうやって梅の匂いとともに生きて来たんだなあ。
「へ。。。へーーーっくしょん!」
畑で鼻をおっぴろげて梅のにおいを嗅いでいると、いきなりくしゃみが出た。そう。梅の匂いをかぐと、杉花粉まで吸い込んでしまうおまけつきなのだ。かぎたいけどかげないジレンマが起こる。

さて、勝手に石けんなし生活をはじめてもうすぐ1年になる。ちょうど一年前、私は自分の誕生日に「自分の身体を信じる」という座右の銘(?)を置いた。それからというもの、自分の身体にどんな症状が出ても「これは私の身体がいいように調節してくれているのだ」とおもい、そのままにまかせていた。夜中にいきなりおなかに激痛が走ったとき、ふとんのなかでジッとその痛みを観察した。観察するとは感情を交えない事だ。ただ淡々とその痛みをどのように痛くてどのように変化するのかを見るのだ。するとぎゅるぎゅると音を立ててねじれながら痛みが移動するのがわかる。えたいのしれないエネルギーがおなかの中で活発に動いているのだ。それからある地点で、真下にすごい早さで急降下したかと思うと、いきなりうんちをモヨオしたものだ(なんだ、ただのゲリかい)。

実は石けんなし生活を初めて1、2ヶ月後、もの凄い咳に悩まされた。生まれてこのかたこんなに咳を延々とした事はない。朝も昼も夜も夜中もずっと深い咳をし続けて眠れない日々が続いた。さすがにダンナも一瞬病院に行った方がいいんじゃないかとおもったらしい。でも私はこれは何か身体に長い事蓄積していた何かが排泄されている作用で出ているのではないかとおもった。苦しかったが、やっぱりそのままにしておいた。そしてある日その咳もぴったりと終わった。(良い子はまねしないでね)

そんな私は、今年の杉飛び交う季節に何かを期待していた。「花粉症がなおっているんではないか?」と。
ところがだ。いきなり目はかゆくなるわ、鼻水は滝のように出るわ、鼻の奥はふくれあがり息が出来ないわ、くしゃみはとまらないわで、こりゃ、いつもと全く同じじゃねえか!ああ、石けんなし生活はなんのためだったの?!と、感情が吹き上がる。私はこの花粉症という現代病を一生抱えて生きていかなければならないのか!と、大地につっぷした。(してないけど)

鼻水をたらたら流しながら床につっぷしていると、ダンナが、
「あれ、やらないの?」という。なんのことや?
「あれだよ、ほら。観察するやつ。か、ん、さ、つ」
あ、忘れてた。
「ほら。だからO型なんだよ」

夜、窓を開けて夜風を吸い込む。かすかにイガイガとげとげした感触が鼻の中に入ってくる。私の身体はぴくりと反応する。鼻の奥の皮膚がぷく~っとふくれあがってくるのがわかる。と同時に鼻水がタラ~~~。
感情がうごきはじめた。冷静でいられなくなる。観察とは冷静であらねば出来ない。動揺しつつ、観察する事は出来ない(それは観察とはいわない)。腹痛や咳は私のいつもの症状ではないので、観察できたのだ。しかし花粉症となると話はちと違う。その症状がやって来た瞬間、一番つらかったときの事を思い出す。
「ああ、あの状態にだけはなりたくない!」
粘着質の鼻水が鼻とのどの奥を覆い尽くし、まったく息が出来なくなって死ぬかと思った瞬間(鼻水で溺れ死ぬ?鼻水溺死?)がよみがえって、心がおろおろし始めるのだ。
吹き上がる感情をおさえつつ、ジッと観察を始める。鼻の奥の粘膜がスギ花粉に反応しているようだ。壁にイガイガくんがあたったり刺さったりしている。壁が異物に反応してふくれあがってっくる。どうもその奥に入らないように遮断しているようだ。感情を交えないでみていると、やがて不思議な事にそのふくれあがった壁はしゅるしゅるしゅるとしぼみはじめた。鼻水も止まり始める。目のかゆさも消えていく。これはいったいどうゆうことだ?そのとき、心の感情と症状とは連結しているという事に気がついた。
はじめに症状がある。それに反応する心がある、するとその症状はなおさら大きく肥大していく。

これはまるで心の反応と同じじゃないか。
嫌いなヤツがいて、そいつの事ばかり考えていると、ますます嫌いになり、そいつがいる場所の同じ空気まで吸いたくなくなる、あれだ。なんか失敗してしまって、その事をくよくよ悔やんでいると、ますます落ち込んでしまい、あげくのはては死にたくなる、あれだ。
という事は、自分で自分に反応して、症状を巨大化しているのかもしれない。
畑で目のかゆさ、鼻水タラ〜がはじまると、じっと作業の手を止めて、自分の身体に起こっている症状を観察してみる。しばらくすると症状がしぼんでいくのがわかる。
闇をコワいコワいと見ないようにすればするほどその闇はコワくなるが、思い切ってその闇をじっと見つめると、コワくないのと同じだ。

そのやり方を覚えてからまた雨の日々が続いている。今のところ、目のかゆさもそれに向かうと消える。くしゃみも鼻水も出ない。ただ夜中は喉を知らず知らずのうちにかいているようだ。起きていないんだから、観察できないからか。
さて、これが晴れた時どうなるのか。またじっくり自分の症状を観察する事にしょう。


絵:「モンスター列伝」/堤康次郎

4 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

花粉症・・・不思議です。何?って、
-寝ているときには、くしゃみしない
-同じく寝ているときに鼻水垂れない
-雨の日でもさほど変わらず花粉症

と、いうことは実は心因性も結構入っ
ているのではないか?って疑っています。

つくし さんのコメント...

やっぱり。。。?

そーいや、寝てる時にくしゃみしないよなあ。鼻水垂れないよなあ。雨の日も変わらんよなあ。
理屈に合わんなあ。

なんかさ、退屈なヤツとしゃべっていると、くしゃみしたくならない?
これってやっぱり心因性入ってない?

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

入ってるかも。

つくし さんのコメント...

んだな。

花粉心因症。