2009年10月10日土曜日

この世に重要なものはない




「この世には何一つ重要なものはない」
今朝おきがけにこの言葉がやってきた。
それまで夢を見ていた。

あるお金持ちのアメリカ人が財布から札束を出した。確かコーヒーかなにかを買おうとしていた。2、3枚重なっていっしょに出てきたそのお札には、「$880」と書かれてあった。
「なんですか。これ?」と私が聞くと、
「ああ、これね。これはオリンピックにかかわった人たちだけが使えるお金なのよ」といった。
その言葉には、特権階級の人たちが、好きなように作れて、好きなように使える、そういう意味が含まれていた。


私はネットサーフィンするうちに、テレビや新聞には書かれていないことが山のようにあるのを知る。そして表立って言われていることが、真実かどうかもあやしいかもしれないことに気づく。人々はやれ事件だ、やれ経済だとメディアが流す情報に一喜一憂するが、それは偶然に起こったことかどうかも疑わしい。今回の経済破綻もサブプライムローン問題が原因だとか言われているが、あれは所得の低い人に低金利で貸し付け、その後ドーンと金利を上げるのだ。アメリカに住んでりゃ、低所得者が、どれだけ苦しい生活をしているかわかる。その人々が5、6年後に給料がどどーんと上がるわけがない事など、誰が考えてもわかる。破綻がくることは目に見えているシステムが動いたのだ。ウラに何かないわけがない。

今朝の夢はそんなものを象徴しているように見える。ある一部の特権階級の人たちが、この世を好きなようにしている。そんな風に見える。そしてその好きなように作られたお金や法律やシステムで、下の人々を振り回す。昨日善だった価値観が、次の日に悪に変わる。

私が日本に戻ってまもなくのころ、市のリサイクル法が変わった。そのとき近所のおじさんとおばさんがケンカしているのを見る。
タバコのまわりについたビニールが燃えないゴミに出すべきなのか、燃えるゴミに入れていいのかでもめていたのだ。そのうちお互い険悪な雰囲気になってくる。
私はそれを見てなんだかおかしくなった。それまでいたニューヨークで、最近ガラスのビンやプラスティック製の自転車が、リサイクルから燃えるゴミになってしまったというのに、ここではタバコのまわりのビニールが燃えるゴミだの違うだのと言い争って、お互い険悪になる。

結局、上にいるある人が決めたことなのだ。
国によってすべての価値が違って、それに下の人々は振り回される。隣の国では善が、ウチでは悪になる。このリサイクルと言う(エコといってもいいが)アイディアには、絶対的な結論はたぶん永遠に出ないだろう。つまるところ、こんなきりのない論争で大事な人間関係まであやしくなるのだ。
バカバカしいと思わない?
何も真実ではないのだ。単にその時代時代の価値観がうろうろ変わるだけ。人や政治が動いて、コロコロ変わるだけ。そこにはなんの大自然の摂理も宇宙の法則も働いていない。所詮ニンゲンの浅はかな考えがちょろちょろしているだけなのだ。
ビニール一つでケンカすることは、その人が学んで大きくなるための必要なものではない。たぶん元を辿っていけば、今価値とされていることやシステムは、すべてが一時的な、いい加減な曖昧なものなのだろうな。でも悲しいことにそれが原因で鬱病になったりもする人々もいる。じつはそんな風になる必要もないのだ。なっているだけもったいないのだ。その程度の常識なのだ。なんの重要性もない、真理でもない、うろちょろ変わるだけの世の中の常識なのだ。
もう、そんなに必死でこの世の常識を守っていることはないんじゃないか。

善や悪や、ソンやトクや、勝ち組や負け組や、失敗や成功など、もうそろそろこの世の二元論から解放されたいものだ。


絵:ミステリーマガジン扉掲載

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