2009年4月1日水曜日

自己嫌悪石けん




自己嫌悪菌にやられっぱなしだ。

ちょっと失敗してダンナに指摘されると、もうふにゃふにゃだ。
ああ、私ってダメなニンゲン。よよよよよ...。

で、その「やってしまった」事をクヨクヨと悔やみ続ける私。しつこーいっ!
「やってしまった」ことは二度とリセットできないだろ。

コンピューターなら、コマンドZを押せば、もとにもどる。でも現実の世界はどんどんと前に進むだけ。時間が引っ返す事なんてタイムマシーンでもないかぎり、できゃしない。

なのに悔やむ。
アホかいな。悔やんでなんかいい事でもあるのかい、私?
どうもいいことがあると思っているらしい。

悔やんでも時間が元にもどるわけもなし、失敗した事も帳消しにはならない。そうすると心はよけいあせって何かしなければ!と思い込む。で、その「何か」は「自己嫌悪する」という行為になる。そうやって自分の心を落ち着かせようとしているのか。

「私は今、とっても反省しているのよ。おもったよりいい人でしょ。だから許して〜」と。
早い話が自分に都合のいいように心をすり替えているだけだ。
いったい誰に向かって許してほしいのだ?要するに、例の監視人という自分に向かって許して〜といっているだけなのだ。ホントにそう思っているんだったら、その本人に言え!っちゅうはなしや。


でも失敗するという事は、それを通して何かを学べというメッセージ。なのにその失敗した自分の行為を真正面から見る勇気がないから、そんな行為でごまかしている....と言えないだろうか。

「ああ、ごめんなさい、ごめんなさい」
と、心で言い続けているだけでホントは反省していない。私の自己嫌悪の本当の理由とは、どこかで謝っておけばいいとおもっている?

そ...それって、全然いい人ではないではないか!

こういう事を「自分をごまかす」というんだな。



これは石けんに似ている?

自己嫌悪という石けんは、失敗と言う菌を殺菌するのに有効だと思い込んでいる。自己嫌悪している間は(石けんでからだを洗っている間は)いい人である(清潔である)、と思い込んでいる。

ところがそれは、その気になっているだけで本質をみきわめているわけではない。

うんこが手についたり(おっと!)、どえらい失敗をしてしまった!
なんて時には、ちょちょっと洗うには有効である。しかし、毎日入っているお風呂度にゴシゴシ洗う必要はない。洗えば洗うほど、皮膚の上にある無数の私たちを保護してくれている菌さえもこすり落としてしまい、しだいに肌が荒れてくる。

ちっぽけな事でうじうじ悩んで自己嫌悪石けんで心を毎日ゴシゴシ洗ってしまっていたら、肝心の大事なものまで失ってしまっているかもしれないではないか。しだいに心までも荒れてくる。

ああ、私の皮膚さん、心さん、こすりすぎてごめんなさい。

自己嫌悪と石けんはほどほどに。

絵;コージーミステリー表紙

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