2008年12月4日木曜日

母の背骨その2




母はいいアイディアを思いついちゃったもんである。

たしかに粉々になった骨はカラダの外には出ていない。全部彼女の中にある。別に遠くからわざわざ持ってこなくてもいいのである。材料はここにある。だったら、それを集めりゃいいだけのことだ。

素人判断とはそらおそろしいもんである。時には医者の判断の領域を越えている。

母は、夜ふとんの中でこっそりと呪文を唱えた。
「骨よ、集まれ、集まれ.....」

彼女は絵描きだから、イメージ能力はある。一個一個米つぶになった骨のかけらを集めてくる。パズルを合わせるかのように一個の腰椎を作り上げる。
一つ出来たら、また一つ....。
そうやって、下から順番に骨が集まり、背骨になっていくイメージをしたのだ。

「べつに長いことやったわけじゃない。せいぜい5分ぐらいよ。ほんの軽〜い気持ちでやったのよ」と、彼女は後々その時のことを話してくれた。

毎晩5分間だけやって一週間が過ぎた。
コルセットも出来て、また病院でレントゲンを撮る。先生の手が震えた。

彼女の背骨はずらっと並んで写っていた。
「うん。まっすぐきれいに並んじゅう!えい!(いい、の意)」先生は大きな声で言った。
「けど、今度は中身詰めなきゃね」

背骨はまっすぐ見事に出来上がっていたが、よく見ると、骨は輪郭線だけであった。つまり中身がまだ透けているのだ。正常な骨はレントゲンに真っ白く写っている。しかし、母が集めた骨は、まだアウトラインだけが白く浮き上がっているだけで、中が透明になっていた。先生はそれを見て、母に次の課題を出したのだ。
今度は中身を詰めろ、と。

母はコルセットをもらって、また家に戻った。薬も同じものしかもらえない。
その晩から母は呪文を変更した。
「中身よ、詰まれ、詰まれ.....」

一週間が過ぎた。
今度はしっかりと中身の詰まった背骨が出来上がっていた。
レントゲン写真を見ながら先生は、
「えい!」といった。

母はこの次点ではじめて私に電話をくれたのだ。こんなことがあったのよ、と。
気丈な母は、私に迷惑はかけたくなかった。また来てもらっても逆に私に気を使う。その余分な労力も考えた。いざとなったら、姉妹も近くにいるのだし。

母は、事の次第をコロコロと笑いながら話してくれる。私はなんちゅう母親だと思いながらも、骨はそんなふうに、イメージすればくっつくもんか、とも思っていた。

「でもねえ、つくし。なんか背骨どうしがゴロゴロあたる音がするのよ」と母。
私は前に友達が椎間板ヘルニアで苦しんでいたのを思い出して、
「あ、確か骨と骨の間に、軟骨みたいなもんがあったんじゃない?あれがないと骨同士が当たるんじゃない?」
「ああ、そうか!そんなもんがあったか。ほんなら、今晩からそれイメージする」
こんな会話を医者が聞いたら卒倒するかもしれない。素人とはそらおそろしいもんである。

骨がくだけて3週間後、母はリハビリが始まった。
そして1ヶ月半で完治した。
骨密度を計ると、骨がくだける前より、治ったあとの方が密度は増していた。72才にして、40才代の骨密度になっていた。


後日この話をニューヨークに住む医者の私の友人にメールする。
すると彼女は「It's impossible!(不可能!)」とひとこと言って、二度とその話を私にしてくれるなと拒絶された。どうも彼女の長い医者としてのキャリアの中に、あってはいけないケースのようだ。

私はなんかへんなのかな?とふと不安に思い、近所の看護士さんにも確認する。
すると彼女は、
「ありえな〜〜〜〜〜い〜〜〜〜」といった。

つづく...

絵:『T&R』イラスト掲載

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