2008年9月14日日曜日

インスタント焼きそば



体にいいか悪いかは、横に置いといてもらって、インスタント焼きそばを食べる。
トップのふたを3分の一まではがして、中の袋を取り出す。お湯を入れて3分間待つ。お湯を注いだ反対っかわにある小さな小窓を開けると、格子状の湯切り口が出てくる。そこからさらさらとお湯をこぼして、ふたを開け、ソースやふりかけやマヨネーズを入れ、グチャグチャと混ぜて、あ〜ら簡単。即席焼きそばが出来上がる。
私はこの肯定をやるたび感心する。この面白さとおいしさを、ぜひカップヌードル好きのフェルナンドに送ってやりたい。だがこの複雑な工程を、お湯を注いでちょいちょいしかできないフェルナンドに、はたして伝わるのか。これを全部英語にして説明しなきゃなんない。それを考えると、今はフロリダに住む彼の家に行って、手取り足取りして教えた方が早そうだ。

一度まちがって、ふりかけをお湯をそそぐ前に入れてしまった。あわてて入れ物をお皿にかたむけて、ふりかけをとりだすと、何やら別の物がでてきた。ドライキャベツだ。どっから出て来たのだ?なんと乾燥麺の下に隠されていたのだ。湯が麺に回るバランス、キャベツを柔らかくする微妙な位置など、計算されつくしているのだ。
もし、この手順を間違えると、とんでもない代物が出来上がるに違いない。やっぱりフェルナンドには、フロリダまで教えにいくしかない。

まったく日本人は発明家だ。どこでどうやったら、あんな発想が出来るのか。きっと食に関する深い造詣があるにちがいない。いやいや食だけに限ったことではない。あらゆることに関して突出している。

そんなことを言うと、決って「ああ。それは、日本人はモノ作りがうまいから」なんていう。さも当たり前みたいな口調で言って欲しくない。これって、すごいことなのよ。

それにまた、日本人はどこぞのお国と違って、イバらない。
コレやった、アレしてやったといちいち恩着せがましく言わない。(言わなすぎるきらいはあるけど)
その、ぐっと内に秘めて、
「そんなことは自らが言い出すことではない」
という言わぬが花という美学。これを円熟した文化と言わずして何と言おう。
テレビ観ていると、そういう部分には目を向けず、なんでもかんでもニッポンはまだまだとか、遅れているとか、文句を言う。そんな言葉は、もう聞き飽きたのだ。一方方向からばっかりモノを見るんじゃない。
目の前に足元に、当たり前のようにある美しい文化。私はそれを一つ一つ「これこれっ!」って持ち上げて、見つけていきたいと思うのだ。

ちなみに、メーカーさん。そろそろインスタント焼きそばにも英語の説明文入れてください。

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