2008年7月31日木曜日

「木になる」


 
近所の農家で野菜を買う。野良作業をしている畑の入り口で聞く私。
「今日は、何がなってますかあ?」
「うーん。そうだね。キュウリと、谷中ショウガがあるよ。あ、枝豆もそろそろいいよ。キュウリは、いいやつみつくろって、とってよ」私はキュウリ畑に入って、よさそうなのをもぐ。
「これも持って行って。もう終わりだから」思わぬインゲンのおまけつき。
ビニールに入ったきれいなカタチの野菜ではない。くねくね曲がってみたり、ちょっと太ってみたり。いろんな顔を持つ野菜さん。
どこの国のどこの誰ベエさんが作ったか分からない高い高い食材よりも、この光景はなんと贅沢なことよ。ほんの少し前までは、それが当たり前だったのに、今ではそれがなによりの宝物になった。その農家の方が、どうやって土を肥やして、どうやって育てているのか、私は知っている。そして彼らがどんなに気持ちを込めて作っているかも。そんな野菜たちを食べるのは、もちろん体にいいに決まっている。しかし、それよりもなによりも、私の心が喜ぶのだ。人は体で出来上がっているのではない。心で出来上がっているのだ。私はそう思う。段ボールに無造作に入れられた野菜たちは、誰がなんと言おうと、きらきらと美しかった。
ジャブジャブ洗って、早速お昼の食卓に。谷中ショウガはみそをつけて。インゲンはさっとゆでて。
「いただきま〜す!」
この言葉の意味は偉大だ。
「あなたの命をいただいて、私の命が生かされます。ありがとう」
という深いメッセージが込められている。日本人の生き物に対する畏怖の念は、そんじょそこらの観念では推し量れない。

絵:オリジナル絵本『はなたれさきち』より

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